Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

〜 No.164 織田信長の知られざるキャラ〜

皆様こんにちは。

 

前回の『誰かを嫌いになりそうになったら』の記事で

 

『「この人は、こんな人だ」

と一度イメージを持ってしまうと

それがその人を覆うベールになって

他の良い部分が見えなくなってしまう』

 

と書きました。

 

今回はこの延長で

日本史から「人のイメージ」について考えてみます。

 

 

主人公は『織田信長』。

 

 

皆さんは、信長にどんなイメージを持っていますか?

 

・父親の葬式に粗野な服装で登場し

焼香するかと思うと抹香をつかんで仏前に投げた!

 

・自分は病気と嘘をついて弟を呼び寄せ、そのまま刺し殺す!

 

・超優秀な明智光秀を折檻!

 

などなど、他にも「残酷だなぁ」と思うエピソードが

たくさんあります。

 

何たって、あだ名が

『第六天魔王』ですからね。

 

残虐。非道。直情径行。短気。俺様。

 

こんなイメージが浮かぶのではないでしょうか?

 

でも資料を読むと

違う信長像が浮かび上がってきます。

 

 

戦国一のメモ魔・太田牛一が書いた

『信長公記』を見てみましょう。

 

・天文23(1554)、村木城を朝8時〜夕方17時までかけて攻撃し、勝ったものの多くの死傷者が出ました。信長は本陣に帰ってから、部下の働きや負傷者・死者のことをあれこれ語って涙を流しました。

 

*泣くと言えば、最愛の側室・吉乃が病気で死んでしまった時もワンワン泣いたとか。

 

血も涙もなさそうな信長、実は涙もろいのかも。

 

 

・歌や踊りが好きな信長は、ある時愛知県の津島(現・津島市)盆踊りのようなイベントをしました。そして今度はそれに参加した近隣のお年寄りが信長のいる清洲に踊りの返礼にやって来ると、お年寄りを身近に呼び寄せて「似合ってるねぇ」「面白いねぇ」と気さくに会話をして、うちわであおいでやったり、「お茶でも飲んでよ」とお茶をすすめたりしました。

 

お年寄りはみんな感動して泣いたそうです。

 

フレンドリー信長です。

 

 

 

・朝倉義景と対峙していた時、兼松という部下が武者一騎を山中に追いかけ、首を取って信長に持って来ました。その時兼松は裸足で、足は血だらけ。信長はそれを見て「こういう時に役に立つ!」と言って、いつも腰にぶら下げていた足半(わらじ)をプレゼントしてあげました。

 

信長はパワハラ上司のイメージですが、何か優しいですね。

 

 

私が一番好きなのは、次のエピソード↓

 

・美濃と近江の国境にある道のほとりで、身体に障害のある乞食が雨にうたれていました。信長は京に往復する度この乞食を見てとても哀れに思い、「乞食は住む所を決めずにさすらうものだけれど、なぜこの者はいつもここにいるのか?」と町の人に尋ねます。すると「昔、山中の宿で常磐御前(義経の母)を殺しました。その報いで、殺した者の子孫は代々身体に障害を持って生まれ、あのように乞食をしています。私たちが『山中の猿』と呼んでいるのは、こいつの事です」と答えました。

 

そして後日、信長が急遽京に上ることになった時のこと。その多忙の中にあってあの乞食のことを思い出し、木綿二十反を自ら用意して、家来に持たせます。

 

山中で馬を止めると、町の者を全員呼び出し、皆戦々恐々としていると、持参した木綿二十反を町民に預け「この木綿の半分を費用に充てて近所に小屋を作り、この者を住まわせて、飢え死にしないように面倒を見てやりなさい」と言いつけました。さらに「近隣の村の者たちは、麦の収獲があったら麦を一度、秋の収穫後には米を一度、年に二度ずつ、負担にならない程度に少しずつこの者に与えてくれれば、信長はうれしく思う!」と言い添えたとのこと。

 

第六天魔王どころか、慈悲深いお坊さんのようです。

 

 

・安土城の内覧会(当時としては画期的な建築だったので、今でいうテーマパークみたいなノリだったのでしょう)は、一般市民も入場料を1万円くらい払うとお城の中に入れました。信長は自ら馬小屋の横に立って、入場料を受け取っていました。

 

最後にお茶目な信長。入場者はさぞびっくりした事でしょう。

 

どうでしょう?

多少盛っているかもしれませんが

違った信長像が見えてきますね。

 

他にも

将軍の足利義昭を操っていた、というのも少し事情が違います。

実はこの将軍がとんでもないバカ殿で

天下静謐のために

自ら憎まれ役を買って将軍を諌めたのです。

 

バカ殿はここでもキレて、信長包囲網をひいたのですが

最後は捉えられてしまいます。

 

家来が「将軍を殺しましょう!」

と声をそろえて言いますが

「命だけは助けて、俺と将軍とどちらが正しかったか、後の世の人の判断に委ねよう。怨みに恩で報いるのだ!」

と言って、秀吉を警護に付けて若江という場所まで送り届けています。

 

自分に刃向かった者は絶対に許さない!というイメージですが

実は完全に追いつめないのも信長です。

 

荒木村重、松永久秀など、それこそ恩を仇で返すような部下の謀反も、最初は必死に「言いたい事があるなら話を聞こう」というスタンスを通しています。

 

私だったら、手塩にかけた部下にそんな事されたら

そんな余裕を持てないと思いますが()

 

こんな感じで、信長一人を取っても

世間に流布するイメージとは

違った一面も見えてきますよ。

 

歴史は本当に面白いですね!

 

 

 

参考資料『信長公記』

 

 

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編集後記:

 

古文書を速読できるという磯田道史先生に

本気で弟子入りしたいと思う今日この頃です。

先生の本は多分全部持ってます!