Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

柊のメルマガ   ~No.93 「体罰」と「しつけ」の違い〜

今週は、愛媛県の中学校で起きた

体罰問題が大きく報道されていました。

 

概要は、

"中学1年の男子生徒が放課後教室でふざけていた所

担任教師がそれに激怒。

トイレに引っ張り込んで、個室の鍵をかけて20分に渡り暴行。

ほっぺたをギューっとつねって平手で20発ほど殴る、

頭突き、壁に頭を打ち付けるといった暴行の他

耳をつまんで

「殺したろうか?この耳聞こえんようにしてやろうか?」

といった暴言を吐いた"

 

というものです。

 

 

私が子供の頃よりはよほど

体罰がなくなったと思いますが

いまだに上記のような体罰をする教師がいて

中には「しつけのために体罰は必要」

と考える人がいるのも事実。

 

例えば「体罰は必要」

というワードでググってみると

びっくりする位体罰を肯定するサイトが出て来ます。

 

今は少し低くなっていると思いますが

2000年の調査では、米国でさえ、

61%のアメリカ人が体罰は必要だと答えています。

 

体罰を肯定する人は

「しつけ」の意味を勘違いしているのでしょう。

 

しつけは

子供を大人の思う通りに行動させる事ではありません。

これは動物に行うものです。

 

しつけは

子供が『自律』できるようにするものです。

 

体罰は子供を自律させるどころか

数々のマイナス面が生まれる事が

発達心理学の研究で分かっています。

 

 

以下、体罰のいくつかの問題点を書いておきます。

 

   体罰は「子供のため」でなく

単なる「大人の感情のはけ口」である

 

体罰をする大人は、怒りの下に様々なストレス、不安などの

ネガティブな感情を抱えていて

ちょっとした刺激で怒りが爆発します。

 

子供の問題でなく

大人である自分の問題である事に気付いていません。

 

 

   体罰には「即効性」があるように見えるが

実は問題の解決が遠のく

 

自分より身体が大きく、立場が上の親や教師に叩かれれば

とりあえず子供は謝ります。

でもそれは心から悪いと思っている訳ではなくて

早くこの恐怖から逃げたいと思って謝っているのです。

 

また、体罰をする人の前で悪い事をしなくても

他の人の前では同じ事をするでしょう。

 

もっと悪い事に

「黙らせたいときは暴力を振るってもいいんだ」

と間違った認識を子供に与えてしまいます。

 

更に悪い事に、

暴力に訴える→子供はおとなしくなる→

「体罰をすれば子供が言う事を聞く」と勘違いする

→子供が悪い事をする→また体罰をして言う事を聞かせる

 

という風に、表面的な子供の様子だけをみて

大人は間違ったルーティーンを繰り返す事になります。

 

 

③自分は叩かれたおかげで成長できたから、同じようにする

 

このような事を言う人も多いのですが

それは「父が本気で殴ってくれたから」

目が覚めたのではなく

 

「父が本気で向き合ってくれたから」

自分の中に新しい気付きが生まれただけです。

そこに暴力が介在する必要は全くありません。

 

 

一方の「しつけ」は

子供が一人でも生きていけるよう、問題を解決できるよう

大人がガイドしてあげる事です。

 

子供には子供の言い分や正義があります。

まずは、同じ目線に立って

子供の気持ちを聞く事から始まります。

 

しつけるには、まず子供の気持ちや

行動する理由をしっかりと親や教師が

理解しなければいけないのです。

 

これは正直、手間と時間がかかります。

でもこのプロセスを踏むことで

子供は自分で考え、実行する力が身に付くのです。

 

スポーツの分野では体罰は正当化されてきましたが

体罰と成績は全くの無関係です。

 

例えば2013年に全国大会で優勝した

兵庫県の滝川第二高等学校のサッカー部を率いた

栫裕保(かいこやすひろ)監督は

 

「生徒がみずから課題を見つけていくという

 自主性を重視した指導方法を徹底してから、

 チームは1段高いレベルで戦えるようになった。

 こうした環境を作りさえすれば

 教師が生徒を力で従わせる必要はなくなる」

と言います。

 

当時ニュースでも取り上げられていましたが

生徒達は互いのプレーを真剣に見て

自分たちで弱点を探り

練習メニューも自分達で決めていました。

 

このような「自主性」を養えるよう道を引いてあげるのが

本当の指導者の姿です。

 

そして当然そこには、互いの信頼関係がないといけません。

 

「体罰」は大人本位の行為。

「しつけ」の主人公はあくまで子供でなければなりません。

 

皆さんは、体罰で「いい経験をした」

と思った事があるでしょうか?

 

私が体罰を受けたのはもう25年も前ですが

その時感じたのは

どうしようもない怒りと理不尽さです。

 

本当に子供の可能性を開きたい

間違いを更正させたいと思ったら

暴力に訴えたら絶対にいけないのです。

 

 

参照:

『しつけと体罰』童話館出版 森田ゆり

 

 

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編集後記:

 

本当に、体罰を肯定しているサイトには

その独自の理論に開いた口が塞がりません。

体罰を肯定するなんて

指導者である自分が無能だと言っている様なものです。