Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

柊のメルマガ   ~No.57 「私は不幸じゃない」〜

柊りおんのFBページ記事今週のエントリー

 

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4年前、往復40kmを自転車で激走した高校生達

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~No. 57 「私は不幸じゃない」~

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「被害者意識を持つ」のは

感情と向き合う上で大きな枷となります。

 

ただ、それを持つ権利がある人がいるとすれば

犯罪や災害で、肉親を失った方達でしょう。

 

「私は不幸だ」と認めるのに

必要な条件は、あるのでしょうか。

 

12日の朝日新聞に、東日本大震災の追悼式で

宮城県代表として追悼の言葉を述べた女性が掲載されています。

 

まだお読みになっていない方、

こちらに転記しますので、必ず読んで下さい。

 

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菅原彩加さん(19)は、津波で母と祖母、曾祖母を奪われました。

 

(ここから遺族代表の言葉として一部抜粋)

 

"あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると

大きな地震が起き

地鳴りのような音とともに

津波が一瞬にして私達家族5人をのみ込みました。

 

しばらく流された後

私はがれきの山の上に流れ着きました。

 

その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ

かき分けてみると

釘や木が刺さり、足は折れ変わり果てた母の姿がありました。

 

右足が挟まって抜けず、がれきをよけようと頑張りましたが

私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。

 

母のことを助けたいけれど

ここに居たら私も流されて死んでしまう。

 

「行かないで」という母に私は

「ありがとう、大好きだよ」と伝え

近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。"

 

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菅原さんは、高校入学後60回近く体験を語って来たそうです。

 

祖父秀幸さんが、ふびんに思って声をかけると

彩加さんは

 

「自分は不幸じゃない」

 

と泣いて抗議したそうです。

 

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彩加さんは、追悼のことばを次のように結んでいます。

 

" 失ったものは、もう戻ってくることはありません。

悲しみが消えることもないと思います。

しかし前向きに頑張って生きて行くことが

亡くなった家族への恩返しだと思い

生きていきたい。"

 

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彼女には、とてつもなく深い悲しみと

自分だけ生き残ってしまったサバイバーズギルトのような

自責の念がある事と、拝察します。

 

それでも

彼女の目は

前を見据えていると私は感じるのです。

 

彼女が

人生で感じる辛さや苦しみをすべて地震のせいにしていたら

遺族代表として

祭壇に向かい合う事はできなかったと思うのです。

 

春からは

大学で防災学を勉強される彩加さん。

 

天国のお母様は

ずっと彩加さんを見守ってくださる事でしょう。

 

そして私達は

彼女から多くを学ばなければなりません。

 

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編集後記:

 

私も当時宮城で被災していましたが

そんな大変な状況の中でも

私が見たのは人間の優しさ・美しさでした。

いつか自分が見た事を、まとめられたらいいなと思います。

 

犠牲者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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