Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

正常性の偏見

今日は私たちの「正常性の偏見」について、書きたいと思います。

今朝Yahooニュースで、教職員と児童が多数犠牲になった宮城県の大川小学校の記事が載っていました。

「生存者14歳少年が証言する大川小の過ち」

(少年の勇気に感服せざるを得ない記事なので、ご一読下さい)

なぜ当時、山でなく河の方に逃げてしまったのかという調査が現在も行われていますが、結論を出すのは永遠に難しいのではと思うほど現実に向き合うのが辛いですね。


今回は教職員の判断ミスだという声。逆に、あの状況では裏山が崩れる危険性もあり、吐いていた児童や低学年の子供を引き連れて山に登る判断ができなかったのではという声。様々あります。

私の母も小学校の教員で、確か大学を出て一番最初に赴任したのが大川小だったと記憶しています。「浜の子供達は言葉が荒いけど、みんな元気なの!」と生前話していました。

では仮に母が赴任中にあの地震が起きたら、たった1人教職員の意向に逆い、生徒を無理矢理山に避難させられたかというと、まずできなかったのではと思います。

どうしてだろう、と色々調べていくと、1つのキーワードが出て来ました。

それが「正常性の偏見」と呼ばれるものです。

大川小とは対照的に、同じく津波被害を受けた釜石市の小中学生は、登校していた生徒2926人全員が奇跡的に助かりました。

釜石市では徹底的な防災訓練が行われていたのはもちろんの事、「避難3原則」を子供達に教えていたそうです。詳しくはコチラからもご覧になれます。

①「想定にとらわれるな」
②「ベストを尽くせ、最善を尽くせ」
③「率先避難者になれ」

特に注目するのが③です。

以下サイト
http://stand-by.jp/2012/10/12/kamaishinokiseki/から抜粋します。

"たとえば、建物の中で火災報知器が鳴ったとします。しかし、実際には誰も逃げない。 なぜなら、人間には「正常性の偏見」という心の特性があるためです。これは自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価してしまうというもの。ほとんどの人は、非常ベルに加えて、非常事態を裏付ける他の情報がないと、本当の非常事態だとは判断しないのです。

そのため火災報知機が鳴ったとしても、現実感を持って逃げるという行動に結びつきません。そのような状況でだれか1人でも率先して避難しようとすると、多くの人々もそれにつられるように行動を始めるというのが人間の心理です。

だからこそ、子どもたちには、自然の脅威に向かい合う姿勢を持ち、自ら率先して避難をすることの大切さを伝えたそうです。自分の命を率先して守ることで、実は周りの多くの命を守ることにつながるのです"(抜粋終わり)

釜石市の奇跡と呼ばれるこのでき事は、以前NHKのクローズアップ現代でも特集されていて私も見ました。

子供達は、自分達だけでなく家に残ろうとする親や祖父母にまで「ここにいちゃだめだ!高台に逃げないとだめだ!」と行って命を救ったそうです。

危機管理では、大人ほどこの「正常性の偏見」が高いように思います。

私も地震当時宮城にいました。
でも揺れが収まって外に出ても、余震が恐くて実際に職場を出たのは30分ほどしてからだったと思います。その時だれかが「10mの津波がくるらしいよ」と言っていたのですが、そこにいた誰もが「そんなの来る訳ない」と感じていたはずです。

実際その日の夜にラジオを聞く迄は、(被災地では情報が遮断されていましたから)まさかこんな甚大な被害が出ていたとは夢にも思っていなかったのです。

また原発事故の情報を聞いた時もそうでした。
私が住んでいた町は、原発から100km位しか離れておらず、地表の放射線の値も一時期高くなりました。

外資企業がスタッフの国外退去を始め、西へ逃げる人達を見ても
「放射能なんて騒ぐ事じゃないのに」
とどこか冷めた自分がいたのを覚えています。

パニックになるのはよくないですが、この「正常性の偏見」によって必要な動きが取れないという事態は大いにあり得ます。
 
危機管理に関しては、この心理についてもっと学校や職場でも教えるべきだと思います。

「地震のことも、ずっと『嫌だ、嫌だ』って向き合わないで伝えなかったら、千年後の人たちの教訓にならない。人生を変えるくらいのこんな思いを、おいは、これからの人にはさせたくない」

これは前述のYahooニュースに載っていた14歳の少年の言葉です。
私たち大人は、この言葉と真摯に向き合わなければいけません。