Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

プロフィール

柊 りおん(HIRAGI, Rion)

メンタルトレーナー

Officeテオーリア代表 

日本感情心理学会  行動経済学会    所属

 

 

中央大学総合政策学部卒。外資系企業で通訳業務などを担当後、東日本大震災で被災し「今」を大切に生きるために転身を決意。現在は、感情マネジメントの講演や執筆活動を行い約数千名の怒りや不安と向き合う。脳科学・心理学・行動経済学に加え、歴史や芸術作品にも触れる独自の講座にはリピーターも多い。

自身が離婚・育児・介護を同時に抱え精神的に苦労した経験から、ネガティブな感情に振り回される「感情奴隷」から、心理学×行動経済学をベースにした「感情美人学」を提唱。自分の意思決定能力を上げて人生に必要なものを引き寄せられると感謝の声が多数届いている。

著書に『欲しい未来が手に入る怒りのコントロール術・感情美人になれる7つの扉』(光文社『「嫉妬する女はブスになる」問題』(サンマーク出版) 『彼氏にフラれ仕事もクビ。人生詰んだので「成功の経済学」で運命変えることにした』(主婦の友社)がある。

メディア出演歴などはこちら。受講者様の声はこちら

 

 

企業・団体講演実績(敬称略)

高齢者複合型施設しんせん長春館、(株)BESTIVA、宮内歯科クリニック、仙台桃太郎クリニック、横須賀海軍米軍基地、医療法人社団スマイル会、(株)セント、栗生あおば保育園、宮古島市障がい福祉課、Power Women Project、(一社)日本臨床検査薬協会、パステルファミリー(保育園)、(株)カイノス、湯本幼児学園、(株)キュービタス、八王子市商工会議所、(株)マイナビ、癒しフェア2014/2016(於:東京ビッグサイト)、(株)JTB、立川市教育委員会、茨城県大和田小学校・駒込小学校、東京都職員共済組合、茨城県境町教育委員会、東京都労働相談情報センター、 (株)NHK文化センター、金沢市教育委員会、昭島市児童センター、(株)キャリアカレッジ、青森県中小企業団体中央会、アルベマール日本株式会社、(株)スウェーデンハウス、山形県歯科医師会、(株)JTBコミュニケーションデザイン 富山県高岡商工会議所 ユアサ商事等

 

〜わたしが『感情奴隷』だった頃〜

 

「嬉しくなるのも、幸せになるのも、不幸になるのも、孤独を感じるのも全て私以外の誰かが言った言葉や、環境や出来事のせい」と考えていた、思春期〜30才ころまでの間。私はずっと自分のネガティブな感情に振り回され続けてきました。

 

中高生時代、太っていて色黒だった私は何をするにも自信がなくて、外見が悪くても評価してもらえるように、大人から見た「いい子」というレッテルにいつもすがろうとしていました。

 

そんな私には本当は夢があって、音楽関係の仕事につきたかったんですね。だから大学には行かず、音楽の専門学校に行きたかったんです。でも「大学に行かなければ人になれない!」という母親の言葉にすっかり怖じ気づいてしまい、本格的に夢に挑戦する前に、夢を諦めてしまいました。

 

一方、高校時代、留学先の米国で一緒に暮らしていたホストファーザーは、「将来を選ぶのは君だけど、僕が今まで見て来た中で、高等教育を受けて後悔した人は一人も見た事がない。その逆はたくさん見た事があるけどね。それに人は、『自分がここまでやれる!』と思えば限界を越えられるし、自分で蓋をすればそこまでしか飛べない」と言ってくれました。

 

「......世の中は『事実は1つでも考え方や伝え方はいくつもあり』それは選べるものらしい」と感じ始め、D.カーネギーの『道は開ける』『人を動かす』や、ウェイン・W・ダイアーの本を熱心に読み始めたのがこの頃です。

 

でも、本から大きな感銘を受けたものの、実践するには至りませんでした。

 

留学中に母に乳がんが発覚し、17才で帰国。当時家庭内別居中だった父に代わって、いつ何が起こっても対応できるよう家の様々な管理も任されました。母の命の終わりが見えた事で、より優しくしなければと思う一方、受験ストレスや将来の不安が重なり、母に当たって何度も泣かせました。貴重な母親との時間を、あえて自ら潰すようにしていたのです。でも反省する度に、心の声はこう叫ぶのです。「私は悪くない。無理だって!勘弁してよ!」

 

母と何のわだかまりもなく過ごせたのは、緩和病棟に入院してからなくなるまでの17日間。幼かった頃のように「お母さん大好き」と言えたのは、母が亡くなるまでのほんの僅かな間でした。

 

母の死から逃げる様に、24才で結婚。「まだ若いんだから、色々な事情を考えても今回結婚する事はないんじゃないの?」という知人のアドバイスは、私の耳には届きませんでした。私がもっと理知的な大人であれば、既に弱っていた父を残して遠くに嫁ぐという道は選ばなかったかもしれません。でも当時の私は「今結婚しなければ、もう一生家庭を築くチャンスはないのではないか。彼より結婚したいと思う人と出会えないのではないか」と思い込んでいました。天涯孤独になる事を何より恐れていたのです。

 

恐れをベースにした結婚は、初めから余りうまく行きませんでした。色々なトラブルが重なり、過去を振り返って相手を裁こうとした私は、逆に自分の神経を消耗してしまったのです。

 

未来に向けて歩もうとする一方で過去にしがみつき、幸せになりたいと思いつつ自分が不幸になるような感情ばかり、心の中に持っていました。被害者を演じるのが「正しいのは私」と証明する武器だと勘違いしていたのです。

結果、その後より深刻なトラブルが発生し、夫婦関係は修復不可能となり別居。

 

カラカラの井戸に小石を落としたら、カーンと音がするでしょう?色々重なってしばらくはそんな状態でしたが、「あぁ、ここが底かも。もうこれ以上落ちなくていいのか」と思うと、不思議と這い上がる力が出て来たのです。

 

そんな時、ある人から手紙をもらいました。

「許し、過去に生きるのを止めて、人生で起きる最良の結果を期待してね。望みは必ず叶うよ」

 

人生は不平等だけど、どれだけ幸せになれるかは自分の心が決められるんだ......!

 

皮肉にも、どん底に落ちた先で、新しい道を見つけたのです。



〜感情美人道を歩み始めて〜

 

それから、試行錯誤しながら、自分の感情をコントロールしていくよう意識を向けました。

 

でも当時一緒に暮らしていたのは当時0才で泣いてばかりいる娘と、痴呆の症状も出て来たパーキンソン病の父。家族の中で誰にも正論が通じない、私が止まればこの家の全てが止まるという状況は、非常に辛いものでした。

 

おそらくそれは父にとっても娘にとっても同じ辛さだったのでしょう。でも、家の中で何が正しいか決めるのはいつも私。頑張っているのも私。それに世間で20代と言えば、キャリアを形成したり遊んだり、楽しい盛りのはず。......そして私は激しい怒りを父と娘にぶつけては、激しい後悔に襲われるようになります。

 

ある時です。何が原因か忘れてしまいましたが、当時1才の娘の背中を思い切り叩いてしまった事がありました。自分の手がしびれる位の強さでです。その瞬間、娘が泣いてくれればまだ良かったのかもしれない。けれど、娘は大きく目と口を開いて、前をぽかんと見たまま動かなくなりました。「今何が起こったの......?ママが私を叩く訳ないよね......?」声にならない声は私にそう訴えかけてきたのです。

 

その姿を見た途端、私は娘を抱きしめて大声で泣きました。

 

このままでは、また同じ事の繰り返しだ......私も家族も絶対ダメになってしまう!

 

そこで私は、アンガーマネジメント(怒りのコントロール)の勉強を始めたのです。それと同時に、ストレスマネジメントや心理学・脳科学などの勉強も始めました。

 

 

~夢を叶えるのに必要な力~

 

 

怒りや不安のコントロールを実践して、思わぬ副産物も手に入れました。

それは「人生を選択する力」です。

 

私は20代後半から今まで大きな決断を3つし、実行に移しました。

 

1. 離婚するかしないか → 離婚してシングルマザーになる道を選ぶ

2. 給料制の仕事を続けるか否か → 時間の裁量権を持つために個人事業主になる

3. 地方から再び子供を連れて都内に引っ越すか→ 都内に引っ越す道を選ぶ

 

常に、今の延長線上にある道ではなく、怖くて足がすくみそうだけど「自分がどうありたいのか」という道を選んできました。

 

結果、自分を試されているような一見無謀な選択を積み重ねる事で、今持っている物を捨て、変化する事は楽しみであれ恐怖ではなくなりました。

 

一方、私が完全に感情奴隷から解放されたかというと、そうではありません。意地悪されたらムカつくし、娘に対して理不尽な怒り方をしてしまったり、先生と呼ばれるのにふさわしくない振る舞いをしてしまう事も少なくありません......。

 

でも、100%完璧じゃなくていいと思っています。完璧主義は自分の首を絞めてしまいますから。免罪符に聞こえるかもしれませんが、あらゆる感情を感じるのは「生きている証拠」なので、「一時的」にはその感情に覆われても大丈夫です。

 

 

〜あなたが見る景色はあなたが選んでいる〜

 

 ものすごく辛い状況にあったとしても

ある人はそこから自分の足で立ち上がり、ある人は誰かが手を差し伸べても、顔までずっと地面に突っ伏しています。

自分の意志で、幸せになるのを拒んでいるように......。

 

今日が最後の日だとしても、あなたはまだ地面に顔を埋めていたいですか。

 

自分が人生の舵を取らずに、誰が舵を握るのでしょう。

自分が「嬉しさ」や「楽しさ」を感じようとせずに、誰が幸せを感じてくれるのでしょう。

 

私に過去と事実を変える力はありません。でも自分がそれにどんな心の態度で臨むかは、完全に自分の手の中にあります。

私にとって困難は未来への糧であり、欠乏はマイナスではなく、可能性の扉を開く布石です。

 

『夜と霧』の作者で精神科医でもあるヴィクトール・E・フランクルはこう言っています。

 

「生きるとは、問われていること、答えること」

 

私もたまに間違った答えを出してしまうかもしれないけど、間違いさえも前に進む力に変えていけばいい。

 

Everything Happens for the Best (全ては最善のために起こるから)

 

感情を理性の手綱で握るようになってから、私はそれまでとは全く違う人生を生きています。